慶長9年(1604年)に徳川家康が定めた五街道の起点が江戸・日本橋。日本橋川に初代の木造橋を架けたのも家康で、慶長8年3月3日(1603年4月14日)のこと。現在の日本橋(橋長49m、幅員27m)は明治44年4月3日に架橋された20代目の橋で、石造二連アーチ橋。現役の橋ですが国の重要文化財に指定されています。
五街道の起点だった日本橋に架かる20代目の橋は国の重要文化財
現在の日本橋本町1丁目、日本橋室町1丁目あたりには江戸時代はじめに開かれた日本橋魚市場がありましたが、昭和10年に築地市場に移され、幕を閉じています。
日本橋の北詰東側には「日本橋魚市場発祥地碑」が立ち、日本橋魚市場(魚河岸)の歴史を今に伝えています。
江戸時代の日本橋には、北岸に魚河岸があったほかに、西南橋詰に幕府のお触れを公示する高札場が、東南橋詰に罪人の晒し場がありました。
明治36年の東京市の市区改正計画により、幅6間以上の橋梁は鉄橋もしくは石橋を架設することが定められ、日本橋も架け替えが決定(19代目の日本橋は明治5年架橋の木造橋でした)。
米元晋一、樺島正義が設計を担当、妻木頼黄が装飾を、渡邊長男が彫塑を担当して、明治41年に着工しています。
明治36年11月25日には、東京電車鉄道(東京馬車鉄道を前身とする路面電車)が芝口(芝口一丁目)~日本橋~須田町~上野を開業していたので、橋の中央部には路面電車が走るという設計になっています。
高度経済成長を背景に、昭和38年に橋の真上に首都高速道路(都心環状線)が通り、昭和40年には橋を渡る都電も廃止となって、往時の景観とは大きく異なっています。
麒麟と獅子の青銅像など配された彫塑にも注目
麒麟と獅子の青銅像など西洋的なモチーフも印象的で、さながら野外彫刻美術館のようです。
橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毛は、当時の東京市長、尾崎行雄が依頼して、徳川幕府最後の将軍だった徳川慶喜の筆(徳川慶喜は、大正2年没)。
獅子像は、奈良県手向山八幡宮の狛犬などを参考に造型された和洋折衷型。
日本橋には獅子が橋8×4=32頭隠されているのだとか。
また、日本橋には江戸時代の五街道起点という歴史を踏襲し、橋を渡る道路の中央部には、日本国道路元標が置かれています。
現在、日本橋を始点としている一般国道は、重複国道を含め、国道1号(終点・大阪市/旧東海道)、国道4号(終点・青森市/旧奥州街道)、国道6号(終点・仙台市/旧水戸街道)、国道14号(終点・千葉市)、国道15号(終点・横浜市/旧東海道)、国道17号(終点・新潟市/高崎まで旧中山道)、国道20号(終点・塩尻市/下諏訪まで旧甲州街道)の7本。
さらにアジアハイウェイ道路網に関する政府間協定により、アジアハイウェイ1号線(AH-1)の起点にもなっていて、道路元標とともに、AH-1の表示があります。
日本橋を渡る中央通りは日本の道100選に選定。
箱根駅伝の復路第10区も現在では日本橋から大手町へと走るようにコースが変更されています。
また、昭和46年から7月第4日曜には名橋「日本橋」保存会による『名橋日本橋橋洗い』が行なわれています。
日本橋 DATA
名称 | 日本橋/にほんばし Nihonbashi Bridge |
所在地 | 東京都中央区日本橋室町 |
関連HP | 名橋「日本橋」保存会公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ銀座線・半蔵門線三越前駅から徒歩2分。銀座線・東西線日本橋駅から徒歩3分 |
ドライブで | 首都高速都心環状線江戸橋出口・呉服橋出口から約300m |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 名橋「日本橋」保存会事務局TEL:03-3274-6263(三越本店内) |
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