徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿ですが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥(おおおく)。将軍の正室、子女や、奥女中(御殿女中)の居住空間だった場所で、映画やドラマにも描かれています。現在は皇居東御苑の一部で、残念ながら往時を偲ぶものはありません。
江戸時代、大奥には3000人の女性が居住
江戸城の大奥は、二の丸、西の丸などにも置かれており、二の丸には将軍生母やかつての将軍に仕えていた側室、西丸は世嗣夫妻や大御所夫妻が暮らしていました。
大奥は現在の本丸天守台跡の南側一帯。広々とした敷地に総勢3000人もの女性が暮らしていました。
将軍が執務する本丸表御殿、将軍の生活空間である中奥(中奥では、小姓など男性だけが将軍に仕えていました)から将軍が大奥に渡る際には、鈴のついた紐を引いて鈴を鳴らして合図を送り、出入口である「御錠口」の開錠をしていました。そのため将軍が渡る廊下は御鈴廊下という名で呼ばれていたのです。
大奥は大別して玄関口である「広敷向」、将軍の寝所である御小座敷、御台所居所などのあった「長局向」、奥女中たちの居住空間となる御殿向に区画されていました。
将軍の正室は「御台所」と呼ばれ、大奥を取り仕切っていました。正室は公家・宮家・天皇家から迎えるのが決まりです。
2代将軍徳川秀忠の御台所の崇源院 (お江)、徳川家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)、家光の側室で徳川綱吉の生母・桂昌院、徳川家定の正室・天璋院(篤姫)、徳川家茂の御台所(皇女和宮)は有名。
楊洲周延『千代田之大奥』で知る大奥
絵図に見る江戸城本丸・大奥
江戸城本丸・大奥跡 (皇居東御苑) | |
名称 | 江戸城本丸・大奥跡 (皇居東御苑)/えどじょうほんまる・おおおくあと(こうきょひがしぎょえん) |
所在地 | 東京都千代田区千代田1-1 |
関連HP | 宮内庁公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ東西線・都営三田線大手町駅から徒歩6分。東京メトロ東西線竹橋駅から徒歩10分、JR東京駅丸の内北口から徒歩11分 |
駐車場 | なし/大手センターパーキング(185台/有料)などを周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 宮内庁 TEL:03-3213-1111 |
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