西の比叡山に対し、東国の天台宗の拠点ということで東叡山と名付けられたのが上野の山の寛永寺。寛永2年(1625年)、慈眼大師・天海大僧正の創建で、その中心となる堂宇が元禄11年(1698年)建立の根本中堂です。往時には今の上野公園の大噴水の地に建っていましたが、幕末の上野戦争で焼失。現在地に移転再建されています。
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徳川将軍家の菩提寺として、天海僧正が創建した寛永寺。1625(寛永2)年、3代将軍・徳川家光の時代に貫主の住坊となる本坊が建てられました。本坊があったのは現在の東京国立博物館の敷地。慶応4年5月15日(1868年7月4日)の官軍と彰義隊との上野戦争で焼失し、旧本坊表門だけは奇跡的に残存し、輪王殿の前に残されています。