2023年10月7日(土)〜10月8日(日)、千葉県大多喜町で『大多喜お城まつり』を開催。昭和50年に大多喜城(千葉県立中央博物館大多喜城分館)が再建されたのを記念して開催されたイベント。日曜日に行なわれる本祭では、徳川四天王の一人である本多忠勝の一行に扮した武者行列や神輿が城下町に集結し、手作りの甲冑を身に着けた甲冑隊や鉄砲隊などによるパレードが行なわれます。
例年、本多忠勝役は芸能人の予定
10月7日(土)前夜祭(県道大多喜里見線桜台交差点~猿稲交差点)
メインストリートの城下町通りを夜間歩行者天国として、キャンドルカップに光を入れた光アート展を実施。
10月8日(日)本祭(大多喜小学校、市街地ほか)
本多忠勝の一行に扮した武者行列や神輿が城下町に集結し、手作りの甲冑を身に着けた甲冑隊や鉄砲隊などによるパレードが大多喜小学校から市街地を練り歩きます。
メイン会場(大多喜小学校)では、保育園児によるダンスの発表、友好交流都市の東京都荒川区から参加の荒川区天王太鼓による和太鼓実演などが行なわれます。
本多忠勝と大多喜城
大多喜城(おおたきじょう)は大永元年(1521年)に真里谷信清が小田喜城として築いたのが始まり。その後、里見氏配下の正木時茂が奪取して時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉による徳川家康の関八州移封により、家康は江戸城を居城とし、有力な家臣を重要な支城に配置しました。上総国大多喜10万石には徳川四天王の一人、本多忠勝を配しました。
本多忠勝は大多喜城を近世的な城郭として整備し、城下町も発展しました。
同様に10万石クラスだと、箕輪(後に高崎)の井伊直政(遠江国井伊谷の出身ながら「三河岡崎御普代」扱いされた武将、徳川四天王)、館林の榊原康政(徳川四天王)、結城兼常陸国内土浦の結城秀康(徳川家康の次男)くらいですから、いかに大多喜が戦略的に重要な拠点だったがよくわかります。
ちなみに徳川四天王とは、徳川家康の側近として仕えて江戸幕府の樹立に功績を立てた酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人の武将。家康第一の功臣として称えられている酒井忠次は、天正16年(1588年)10月、長男の家次に家督を譲って隠居しており、家康関東移封時には京で隠居生活を送っています。
徳川時代には、大多喜藩の藩庁として機能し、本多家、阿部家、青山家などが城主を務め、松平家が9代にわたって城主となって明治維新を迎えています。
明治4年7月、廃藩置県とともに大多喜城は廃城となり、城内の建造物はすべて破却。昭和41年、県史跡「上総大多喜城本丸跡」として指定され、昭和50年に大多喜城(現・千葉県立中央博物館大多喜城分館)が建設されました。
大多喜お城まつり|2023 | |
開催日 | 2023年10月7日(土)〜10月8日(日)、雨天中止 |
所在地 | 千葉県夷隅郡大多喜町 |
場所 | 前夜祭年10月7日(土)県道大多喜里見線 桜台交差点~猿稲交差点 本祭10月8日(日)大多喜小学校、市街地ほか※例年の日程 |
関連HP | 大多喜町公式ホームページ |
電車・バスで | いすみ鉄道大多喜駅から徒歩7分で大多喜城 |
問い合わせ | 大多喜町観光協会 TEL:0470-80-1146/FAX:0470-82-6860 |
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