昭和8年に日本橋に建設された高島屋東京店(現・日本橋高島屋)。平成21年に百貨店建築では初となる国の重要文化財の指定を受けています。ショッピングがてら内部を見学すると、1階と2階に大理石の柱が見事な吹き抜けが、さらに案内係が手動で操作するレトロなエレベーターと「古き良き華やかなデパートの姿」が現存!
千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院で、深川不動として有名。江戸時代に明王の中でも中心的な存在で、力強い火炎で煩悩を焼き尽くす不動明王を信仰するブームが起こり、とくにその代表格である成田山新勝寺は、あまりの人気で、江戸で出張御開帳をすることに。その御開帳をルーツにするのが明治14年創建の深川不動堂です。
安くてボリュームもあって、味もなかなかだと目下大注目の「役所メシ」。役所メシファンのなかでも人気が高いのが江東区役所8階にある「江東下町食堂」。江東区役所の職員、市役所を訪れる区民用の食堂ですが、もちろん外来での利用もOKです。日替わりの定食類のほか、「デラックスカツカレー」などが人気です。
東京は増上寺の目の前に建つ、港区役所11階のレストランポート。安い、早いだけでなく、窓際なら東京タワーを眺める絶景のレストランです。カレーなどの定番メニューもありますが、平日のランチタイムなら日替わりのランチメニューが充実。しかもおいしい! (2017年3月まで庁舎大規模改修工事で休業)
文京区役所の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、東京23区の区役所の中では最高層ビル(地上28階・地下4階、高さ142m)。その25階は展望ラウンジと、「シビックスカイレストラン椿山荘」になっていて、ラウンジからは東京スカイツリーから富士山まで一望に。夜も20:30まで入場できるので、夜景鑑賞スポットとしても絶好。
広重の浮世絵に見る 赤坂・日枝神社(山王権現)
武蔵国の無量寿寺北院(現・川越市の喜多院)の住持だった天台宗の僧・天海は、家康の参謀となって活躍。3代将軍・家光治世の1624(寛永元)年には上野・忍岡に東叡山(東の比叡山)寛永寺を創建します。天台宗と徳川家の関係は家康以来、密接ですが、その比叡山と神仏習合だったのが山王権現だったのです。
太田道灌の江戸城築城の際に、川越喜多院に祀られた日吉社(山王権現)を勧請して創建。家康が江戸城の鎮守としました。2代将軍・徳川秀忠が江戸城外の麹町隼町に遷し、庶民の信仰が始まりました。国宝だった社殿は戦災で失いましたが、今も東京の総氏神として親しまれています。
東京都公園協会が管理する葛西臨海公園。その中心施設である葛西臨海水族園の海側にあるのが同じ東京都公園協会が運航する東京水辺ラインの葛西臨海公園発着場です。葛西臨海公園とお台場海浜公園、さらには浅草(二天門)、両国を結んで、水上バスが発着しています。
「水上バスで行こう!」がキャッチフレーズの東京水辺ライン。隅田川の両国を起点に両国〜浅草(二天門)〜浜離宮〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園に水上バスを運航。注意したいのは東京都観光汽船とは異なること。お台場海浜公園の桟橋は、両社の共用の桟橋となっているのでお乗り間違えのないようにご注意を。
東京都公園協会が運航する東京水辺ライン。両国を起点に浅草(二天門)発着場に寄港し、お台場海浜公園、さらには葛西臨海公園までクルーズします。両国〜お台場海浜公園〜葛西臨海公園は、水上バス(海上バス)の定期クルーズとしては最長で、2時間ほどの所要。東京の川と東京港を楽しむことができます。
都立公園を管理する東京都公園協会が運航する水上バスが「東京水辺ライン」。両国発着所をメインポートにして、浅草(二天門)からお台場海浜公園を結ぶ「浅草・お台場クルーズ」、葛西臨海公園まで足を伸ばす「葛西・浅草クルーズ」、そして葛西臨海公園とお台場海浜公園を結ぶ「葛西・お台場周遊」がメインの運航ルート。
神田明神(神田神社)前の明神甘酒の店。1846(弘化3)年創業という老舗で、地下6mにある明治37年改築という輸入レンガ造りの室(むろ)でつくる米麹(こめこうじ)をベースにした昔ながらの味。江戸時代の慶長の始めに今のかたちの甘酒となりましたが、江戸庶民にとっては、貴重な甘みだったとか。自然の甘味を伝える希少な店です。
ニコライ堂の愛称で親しまれている東京復活大聖堂の正式名は、日本ハリスト正教会教団復活大聖堂。ニコライ・カサートキン大主教によって建てられたギリシャ正教会の聖堂で、完成は明治24年。尖端状鐘楼があるドームの高さは38mで、日本最大のビザンチン様式の建物として、国の重要文化財にも指定されています。
神田明神近く、宮本公園内に移築された遠藤家旧店舗・住宅主屋が「神田の家 井政」。江戸時代より神田鎌倉町で材木商を営んできた遠藤家が、関東大震災後、昭和初期に建てた店舗併用住宅で、平日は庭が一般公開されるとともに日中はカフェとしても利用できます。
わずか4年ほどですが、中央本線御茶ノ水駅の神田寄り、昌平橋のたもとに昌平橋駅が開業していました。1年間は、名古屋〜東京を結んだ中央本線の起点駅にもなっているのです。今では駅舎の雰囲気はありませんが、往時のレンガ造りの高架が現存しています。
神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代田区景観まちづくり重要物件に選定されています。
湯島聖堂との間、千代田区と文京区の境界線上にある坂が昌平坂。昌平の名は、紀元前552年9月28日、孔子(こうし)が生まれた魯国昌平郷(現・中国山東省曲阜県の東南)に由来。孔子廟(湯島聖堂)が上野から湯島に移されてから付いた坂の名といえます。
御茶ノ水駅から、ニコライ堂と湯島聖堂、2つの聖堂を結ぶ聖橋を渡ると、湯島聖堂。御茶ノ水と湯島は隣接していたことに改めて気づきますが、そんな湯島の端に建つのが、江戸幕府が昌平坂学問所を設置した、湯島聖堂です。脇を流れる神田川、見事な峡谷をつくっていますが、実はこの部分、手掘りで掘削した運河なのです!