大正15年架橋の現在の永代橋(国の重要文化財)のモデルとなったのが、ドイツのライン川に架かり、レマーゲンとエルペルを結んでいた鉄道橋・ルーデンドルフ橋 (Ludendorffbrücke)。この橋、実は、映画ファンにはおなじみの『レマゲン鉄橋』の舞台だったのです!
清洲橋とともに隅田川を代表する美橋として有名な永代橋は、関東大震災後の帝都復興事業として、大正15年に竣工。全長185mのタイド・アーチ橋で、ドイツのライン川に架かっていたルーデンドルフ橋(Ludendorffbrücke)をモデルに、隅田川の入口に「帝都の門」にふさわしい男性的なデザインとして存在感を誇ってきました。
「我が国における百貨店建築の発展を象徴するものとして価値が高い」(意匠的に優秀なもの・歴史的価値の高いもの)として国の重要文化財となっているのが三越日本橋本店。百貨店で初の重文指定である日本橋高島屋とともに、日本橋には2つの「重文デパート」があり、ショッピング途中に館内見学も楽しめます。
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、廃寺となってしまった富岡八幡宮別当(別当=神社を管理する寺)・永代寺。永代寺境内では、江戸時代に11回も成田山新勝寺の不動明王像「出開帳」も行なわれた名刹で、見事な庭園を有していました。今は、深川公園となり面影のない名刹を、歌川広重の錦絵で偲びます。
中央区日本橋室町のオフィス街に鎮座する古社。社殿は、三井不動産の「日本橋再生計画」のメイン事業である「日本橋室町東地区開発計画」で新築され、隣接地に現代版の鎮守の森として「福徳の森」もつくられています。夜間には「仲通り」「浮世小路」(うきよしょうじ)と一体的なライトアップも実施され、幽玄な空間が生み出されています。
富岡八幡宮の西に位置する深川公園。入口に自転車が駐輪され、子供を遊ばせる姿を目にする公園ですが、江戸時代は富岡八幡宮の別当(神社を管理する寺)、永代寺がありました。往時にはこのあたりが海岸線で、永代島という島の寺という意味で、永代橋の名の起こりにも通じる名刹でした。
洲崎神社の横(東側)を流れる大横川南支川に架かる橋。橋長23.2m、幅員10.1mで、昭和6年に関東大震災の復興計画で架橋された鋼製ガーター橋です(昭和7年開通)。昭和6年といえば羽田飛行場(後の東京国際空港)開港、松屋浅草店開業、東京科学博物館開館の年で、柳条湖事件(満州事変)も勃発しています。
大横川に架かる人道橋。洲崎神社への参道的な役割も果たしています。現在の橋は平成15年に架け替えられたもの。橋長15.06m、幅員3.4mの鋼製ガーター橋です。
江東区を流れる平久川(平久運河)に架かる橋。橋長32.0m、幅員13.4mの鋼製トラス橋。昭和2年に関東大震災からの復興計画のもと架橋された鋼橋のひとつ。平成5年に改修されています。平久橋の上流で大横川が合流し、下流で古石場川が分流しています。まさに一帯は運河の町となっています。
深川えんま堂に近い、油掘川公園に「とみおかはし」と記されたコンクリートの橋の親柱の一部だけが保存されています。これがかつて永代寺(現・深川不動堂)、富岡八幡宮の北側を流れた十五間川(通称「油堀」)に架かった富岡橋の跡です。現在、十五間川は埋め立てられ、首都高速9号深川線が走っています。
江東区を流れる運河・大横川、平久川の合流部に架かる橋。橋長40.5m、幅員17.6mの鋼製トラス橋。昭和5年に関東大震災からの復興で架橋され、昭和57年に改修されています。平成16年、江東区指定都市景観重要建造物に選定。さらに平成21年の塗装で、色はシックな深川鼠(ふかがわねずみ)に塗り替わっています。
深川は仙台堀近くの寺町にある心行寺は、深川七福神の福禄寿を祀る寺。1616(元和2)年に京橋・八丁堀寺町に創建した浄土宗の寺で、1633(寛永10)年に現在地に移りました。境内には縁結びの地蔵様として江戸時代から信仰される「影窓院地蔵」、江東区に現存する最古の金石文である五重石塔などがあります。
法乗院(深川えんま堂)は、1629(寛永6)年創業という真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺。えんま堂(ゑんま堂)には日本最大の閻魔(えんま)大王座像が安置され、本堂1階には江戸時代に描かれた『地獄極楽絵』が展示されています。境内には「日本三大仇討ち」で知られる曽我五郎の足跡石があるなど見どころも豊富です。
銀座三越(三越銀座店)の屋上に鎮座する立身出世、開運に御利益(ごりやく)大という地蔵尊。デパートが並ぶ銀座ですが、銀座三越には銀座出世地蔵尊と三井家の守護神である三囲神社、3丁目の松屋銀座には龍光不動尊が「屋敷神」として祀られています。なかでも有名なのが三越屋上の銀座出世地蔵尊です。
江東区富岡の八幡堀遊歩道にかかる人道橋。八幡堀の八幡とは、富岡八幡宮のこと。富岡八幡宮の東に流れる運河が八幡堀です。現在は埋め立てられ八幡堀遊歩道となっていますが、旧掘割を利用した遊歩道の凹部に架けられたのが八幡橋です。鉄橋としては日本最古のもので、国の重要文化財に指定されています。
総武本線が神田川をまたぐ部分に架けられた鉄道橋。昭和7年、関東大震災からの復興という目的もあって、総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸する際に架けられた橋。「ラーメン橋脚」が使用されていることで有名で、昌平橋交差点を越える松住町架道橋と連続して、独特の景観を生み出しています。
総武本線の架道橋で、秋葉原のシンボル的な存在。総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸された際、松住町交差点(現・昌平橋交差点)に架けられた鉄橋です。松住町交差点は、東京市電(路面電車)の軌道が交差する交差点だったため、支間71.96mの広いアーチ式の鉄橋を架橋して、難題をクリアしたもの。
正月や盆の16日は、地獄の閻魔大王も罪人の呵責(かしゃく)を休むことから「地獄の釜の蓋も開く」という諺(ことわざ)が生まれています。1月16日、7月16日は「藪入り」(やぶいり)で、奉公人が奉公先から休みをもらい、実家に帰ったりできる日でした。毎月16日は閻魔様の縁日ですが、1月16日は『初えんま』で御利益も絶大!