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将門塚(平将門の首塚)

大手町のビル街のなかにひっそりと眠っているのが将門塚(しょうもんづか)と通称される平将門(たいらのまさかど)の首塚。もともと神田明神の祀られていた地でもあり、東京を代表するパワースポット。江戸時代には江戸城・大手門を守る酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の上屋敷跡で、有名な「伊達騒動」の終末の地にもなっています。

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江戸城 桜田巽櫓

皇居参観へは桔梗門(内桜田門)の前にある広場に集合しますが、目の前の桔梗濠(ききょうぼり)の向かいにそびえる二重櫓(にじゅうやぐら)が桜田巽櫓(さうらだたつみやぐら)。江戸城本丸の東南(辰巳=巽)の方向にあることが名の由来です。富士見櫓、伏見櫓と並んで江戸城に残る江戸時代の櫓のひとつで、三の丸に位置しています。

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江戸城 伏見櫓

江戸城西の丸の西南隅に建てられた二重櫓で、両横には大規模な多聞(たもん=防御を兼ねた収蔵庫)も続いています。1628(寛永5)年、3代将軍家光の時代の江戸城修築に際して、京・伏見城から移築したものと伝えられています(記録がなく伝承です)。石垣も櫓も堅牢で、関東大震災でも崩れずに往時の姿をとどめています。

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江戸城 富士見櫓(皇居東御苑)

江戸城本丸東南隅に位置し、江戸城遺構として残る唯一の三重櫓です。現存する三重櫓は、1657(明暦3)年の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659(万治2)年の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名がありました。天守焼失には天守の役目を果たした「代用天守」の櫓ともいわれています。

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大名気取りで、江戸城に登城しよう!

全国の大名が参勤交代で江戸参府の際、江戸城に入城するのは正門である大手門から。まずは大手門でから厳しい入城チェックが始まりますが、往時をイメージしながら、江戸城本丸の表御殿へと登城し、有名な松之大廊下を歩き、天守台にも上ってみましょう。この登城ルート、現在は全コースが皇居東御苑内です。では、出発!

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江戸城 中之門跡(皇居東御苑)

江戸城の大手側(正面玄関側)の登城ルートをたどると、大手門を過ぎ、大手三の門を抜けると左手に百人番所、右手に中之門跡があります。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(こぐち=曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていました。

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江戸城 中雀門(皇居東御苑)

江戸城の大手口の登城ルートで、本丸に至る最後の門が中雀門(ちゅうじゃくもん)。逆にいえば、ここが本丸・表御殿の玄関門となります。大手三の門、中之門を駕籠(かご)に乗ったまま通過を許された徳川御三家(尾張藩、紀州藩、水戸藩)も、この門では駕籠を下りなければなりませんでした。現在は石垣に往時を偲ぶのみとなっています。

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江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)

江戸城登城の正面玄関である大手門を入ると江戸城三の丸。三の丸から濠(ほり)に架かった下乗橋を渡ると二の丸入口に大手三の門がありました。下乗橋の手前は広々とした空間で同心番所があり、大名のお供の者の監視をしていました。現在、大手三の門の石垣だけが現存し、下乗橋の架かった濠も埋め立てられて、往時の雰囲気を失っています。

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江戸城大手門(皇居東御苑)

1606(慶長11)年に江戸城の縄張りされ、翌年完成した江戸城の玄関。1620(元和6)年の江戸城修復に際し、伊達正宗(だてまさむね)らの力により現在のような桝形形式(ますがた=橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄20という厳重なものだったとか。

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江戸城本丸・大奥跡 (皇居東御苑)

徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿ですが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥(おおおく)。将軍の正室、子女や、奥女中(御殿女中)の居住空間だった場所で、映画やドラマにも描かれています。現在は皇居東御苑の一部で、残念ながら往時を偲ぶものはありません。

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江戸城本丸 松之大廊下跡(皇居東御苑)

江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に対し起こした刃傷(にんじょう)事件の現場として有名です。

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江戸城本丸跡(皇居東御苑)

皇居東御苑内の広々とした芝生が広がる場所は、江戸城の本丸跡。表御殿、中奥(なかおく)、大奥に分かれ、表御殿は、諸役人が執務する幕府行政の中心機関で、将軍の謁見なども行なわれた建物。最も格式の高い「大広間」は正月などに諸大名が参集する場所になっていました。有名な「松之大廊下」もここにありました。

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江戸城同心番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。同心番所は門の外から内に移設されてはいますが、往時の姿を今に伝えています。

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江戸城大番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋(きたはねばし)門から入苑できます。大手三の門を入った中之門には江戸城の中でも最大級の巨石が使用されていますがその脇に位置するのが大番所。番所とは警備の詰所で江戸城内の番所のうち、百人番所、同心番所、大番所が現存しています。

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小石川後楽園『梅香る庭園へ』|2020

江戸時代初期に水戸徳川家の水戸藩江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)がルーツの「小石川後楽園」。水戸とくれば偕楽園が有名ですが、実はあちらは天保4年(1833年)の開園。水戸黄門でおなじみの徳川光圀ゆかりの名園といえば、小石川後楽園です! 初春には梅が艶やかに咲きます。

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江戸城百人番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。百人番所は、本丸と二の丸へ通じる要所である「大手三の門」を守る大切な番所でした。

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江戸城天守台(皇居東御苑)

江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされています。現在は、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることもできます。

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広重・英泉の浮世絵に見る 永代橋

1698年(元禄11)年8月、隅田川に架橋された永代橋。富岡八幡宮の鎮座する永代島(えいたいじま)に通じる橋で、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際にも使われたという木橋です。大渡し(深川の渡し)のあった場所に架けられた隅田川4番目の橋。1807(文化4)年に崩落しているので、浮世絵の橋はその後の架け替え。

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