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西郷隆盛像

台東区上野の上野公園に建っている「上野の西郷さん」は、西郷隆盛像ではもっとも古い銅像。西南戦争で、明治政府に反旗を翻した西郷は、いわゆる朝敵でもあったため、明治22年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって西郷の「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに、薩摩藩出身者が中心となって建設が計画され、高村光雲の作で築かれたもの。

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上野動物園モノレール

上野動物園内の東園駅~西園駅(0.3km、所要時間1分30秒)を結ぶのが上野動物園モノレール。正式名は、東京都交通局上野懸垂線で、実は動物園のアトラクションではなく、鉄道事業法に基づく交通機関として東京都交通局が運営するもの。常設のものとしては日本初のモノレール(懸垂式鉄道)で、昭和32年12月17日に開業。

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大師公園・瀋秀園

川崎市の川崎大師平間寺に隣接する8万7956平米の公園。野球場、テニスコート、くじら広場、わんぱく広場、芝生広場、大師こども文化センター、老人いこいの家、大師プールなどがありますが、注目は昭和62年に川崎市と中国・瀋陽市(しんようし)との友好都市提携5周年を記念し瀋陽市から贈られた中国庭園「瀋秀園」(しんしゅうえん)。

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川崎港海底トンネル人道

川崎市川崎区にある千鳥町と東扇島を結ぶ、川崎市道川崎駅扇島線の海底トンネル(全長2180m)。歩行者用のトンネルが別に用意され、自転車は降りて通る仕組みに。昭和47年の完成当時は一般車両が通行禁止でしたが、川崎マリエンの開業に伴って平成4年から一般車両も通行可能に。人道部分は別入口で内部も隔離されているので安心。

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大師の渡し跡

東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線の大師橋の上流側(西側)には、多摩川の大師の渡し跡があります。川崎大師への参詣者のために明治10年に開業した比較的、新しい渡しで、羽田とを結んで川崎大師の参詣客を乗せ、穴守稲荷への「大師の早船」も就航。昭和14年の大師橋の完成で廃止されています。

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川崎大師平間寺

厄除弘法大師といわれる川崎大師平間寺(正式名は金剛山金乗院平間寺)。成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに、関東三山のひとつ。真言宗智山派の大本山で、総本山は京都の智積院。寺伝によれば1128(大治3)年、尾張出身の平間兼乗(ひらまかねのり)が夢のお告げで海底から弘法大師(空海)の木像を引き上げ、寺を建立したのが始まり。

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川崎市 見る

二ヶ領用水 久地円筒分水

川崎市高津区久地にある用水施設。二ヶ領用水(にかりょうようすい)の水を下流の各地域へ、正確に分配するために設けられたのが久地円筒分水(くじえんとうぶんすい)で、今も現役。二ヶ領用水は、久地で根方堀、川崎堀、六ヶ村堀、久地・二子堀の4地区へ分水されています。昭和16年築で国の登録有形文化財に指定。

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横浜市 見る

「電話交換創始之地」碑

明治23年に電話事業に関する最初の法令「電話交換規則」が公布され、4月に東京、6月に横浜の電話交換局が設置。明治23年12月16日、横浜電話交換局と東京電話交換局(現・日本工業倶楽部会館/千代田区丸の内1-4-6)の間で、電話交換業務が開始されました。横浜市中区の日本大通の一画には「電話交換創始之地」碑が立っています。

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墨田区 見る

吉良邸跡(本所松坂町公園)

『忠臣蔵』で知られる吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の江戸上屋敷跡(吉良邸跡)。降りしきる雪のなか、亡き主君・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の仇討ちに元赤穂藩の四十七士が向かった先です。かつて吉良はこの一帯に広大な屋敷を構えていましたが、本所松坂町公園として残るのは、吉良邸の北側の一部のみ。

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パワースポット 港区 見る

泉岳寺・赤穂浪士の墓

江戸城松之大廊下で播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)を切りつけた殺傷事件が発端になった「赤穂事件」。四十七士が本所・吉良邸に討ち入りし、本懐を遂げた話は『忠臣蔵』として描かれていますが、その四十七士の墓(赤穂浪士の墓)があるのが、赤穂藩・浅野家菩提寺の泉岳寺。

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パワースポット 港区 見る

泉岳寺

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら赤穂浪士・四十七士の討ち入り事件を伝える話「忠臣蔵」であまりにも有名な泉岳寺。代々赤穂藩浅野家の菩提寺として、境内には藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)や夫人の墓の他、吉良上野介の首を洗ったとされる首洗井戸があります。

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台東区 見る

上野東照宮

駿府城に家康を見舞った藤堂高虎(とうどうたかとら)の上野の屋敷地に建立された徳川家康、吉宗、慶喜を祀る神社で、正式名称は東照宮。明治以前は東叡山寛永寺の一部だったが、明治の神仏分離で神社として独立しています。出世、勝運、健康長寿にご利益があると、多くの参拝者を集めています。またぼたん苑は有名。

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文京区 見る

東京大学赤門(旧加賀屋敷御守殿門)

加賀藩13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、1827(文政10)年、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の娘・溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた際に建立された御守殿門。現在は、本郷通りに面した東京大学の本郷キャンパスの門として保存されています。

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台東区 見る

旧因州池田屋敷表門(黒門)

江戸時代、因幡(いなば)・伯耆(ほうき)32万石を治めた大名が、鳥取藩池田家(因州池田家)。徳川家とも姻戚関係にあり、江戸の地でも権勢を振るっていました。上野恩賜公園、東京国立博物館構内に移築現存するのが旧因州池田屋敷表門。東大の赤門(加賀藩・前田家屋敷門)に対して、堂々たる風格から「上野の黒門」と呼ばれています。

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台東区 見る

大仏パゴダ(上野大仏)

上野公園に建つ、明治5年創業の西洋料理の草分け上野精養軒。その近くにあるのが大仏パゴダ。関東大震災で崩れ落ちるまで、この大仏山と称する地には大仏が鎮座していました。現在では薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があり、大仏の顔面部のみ保存展示され、「これ以上落ちない」と受験生の験担ぎのパワースポットになっています。

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台東区 見る

寛永寺旧本坊表門

徳川将軍家の菩提寺として、天海僧正が創建した寛永寺。1625(寛永2)年、3代将軍・徳川家光の時代に貫主の住坊となる本坊が建てられました。本坊があったのは現在の東京国立博物館の敷地。慶応4年5月15日(1868年7月4日)の官軍と彰義隊との上野戦争で焼失し、旧本坊表門だけは奇跡的に残存し、輪王殿の前に残されています。

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大観覧車「コスモクロック21」

横浜みなとみらい21地区にある横浜のランドマークエリアを一望にする大観覧車。入園無料の都市型遊園地「よこはまコスモワールド」の施設で、15分の空中散歩が楽しめます。「よこはまコスモワールド」の運営は、大観覧車を特異とする泉陽興業夜で、全高112.5m、定員480名の日本最大級の時計機能付き大観覧車です。

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よこはまコスモワールド

よこはまコスモワールドは、横浜みなとみらい21地区のシンボル的な存在となった大観覧車「コスモクロック21」を擁した都市型遊園地。「ワンダーアミューズ・ゾーン」、「ブラーノストリート・ゾーン」、「キッズカーニバル・ゾーン」に分かれて、30ほどのアトラクションが用意されています。

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