内裏塚古墳

富津市にある墳長144mの前方後円墳で千葉県最大の古墳。関東地方でも天神山古墳(群馬県太田市/墳長210m)、舟塚山古墳(茨城県石岡市/182m)、浅間山古墳(群馬県高崎市/171.5m)に次いで第4位の規模を誇る大きな古墳です。前方後円墳11基、方墳7基、円墳29基が確認されている内裏塚古墳群の中心的な墳墓です。

関東第4位の巨大古墳は、須恵国造の墳墓!?

内裏塚古墳の入口

墳頂部への道はまるで登山道

内裏塚古墳は、5世紀半ばの古墳時代中期造営の古墳で、周辺の古墳群のなかでは最初の造営。
墳丘は全長144mで、後円部の直径80m、後円部比高13m、前方部幅77m、前方部比高11.5mとなっています。
一重の周濠(周囲に巡らされた幅の広い濠)を含めると全長は185mに達しますが、残念ながら周濠部は埋め立てられて面影がありません。
規模、築造の時代から国の史跡となっています。

往時には墳丘上には円筒埴輪が巡らされ、さらには形象埴輪も存在したと推測されています。
周濠からきぬがさ形埴輪が出土、さらに出土した金銅製胡籙(ころく)金具は朝鮮半島からの渡来品で、被葬者は、小糸川流域にあった須恵国の国造(須恵国造・周淮国造=すえのくにのみやつこ)とも考えられています。

明治39年に行なわれた発掘調査では、2基の竪穴式石室が発見されています。
東側の甲石室(長さ5.7m)、西側の乙石室(長さ7.5m)からは2体の人骨とともに直刀5点,鉄剣2点,鉄小刀1点,鉄鎌1点、西側の石室からは鏡1点、直刀5点、鳴鏑(なりかぶら)9点、胡籙金具1点などが出土しています。

また、これとは別に、江戸時代に前方部南西側の周溝外周から人物埴輪(男子像頭部)が出土。国内の人物埴輪の中でも、仁徳陵古墳の巫女(みこ)形埴輪と並んで初期のもので、富津市の文化財に指定されています。

出土品の多くは、現在、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に収蔵展示されています。

明治時代には「珠名塚」と呼ばれ、墳丘上に珠名姫神社(たまなひめじんじゃ)が鎮座していましたが、大正4年に飯野神社に合祀され、現在では江戸末期建立の珠名冢碑(たまなちょうひ)が残るのみとなっています。
ちなみに「末の珠名姫子」(すえのたまのおとめ)は万葉歌人・高橋虫麻呂の長歌に詠われた古代上総の美女。

富津岬は、東京湾でもっとも幅の狭い場所。日本武尊(やまとたけるのみこと)の東方遠征の経路とも伝えられている場所です。
東京湾や太平洋を使った交易を示す遺物も青堀駅前の上野遺跡(うわのいせき)から出土しています。

青堀駅東口史跡情報案内所「古墳の里ふれあい館」が設置されているので、古墳探勝の際には寄り道を。

内裏塚古墳の墳頂部

須恵国造(すえのくにつくりのみやっこ)
須恵国造(周淮国造)は、古代に千葉県小糸川流域にあった須恵国(すえのくに=後の上総国周淮郡)を支配した国造。
富津市飯野地区の沖積平野の砂丘列上に内裏塚古墳、三条塚古墳、九条塚古墳、稲荷山古墳という全長100mを超える大型の前方後円墳が築造されていますが、これらの内裏塚古墳群(飯野古墳群)が須恵国造一族の墓と推測されています。
小糸川下流の北岸は、君津市街地となっており、多くの古墳が失われています。


 

内裏塚古墳 DATA

名称 内裏塚古墳/だいりづかこふん
所在地 千葉県富津市二間塚東内裏塚
電車・バスで JR青堀駅から徒歩8分
駐車場 5台/無料
問い合わせ 富津市教育委員会TEL:0439-80-1340

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