隅田公園(墨田区)

隅田公園は隅田川の両岸、台東区浅草、花川戸、今戸と墨田区向島にまたがる公園。桜並木は、8代将軍・徳川吉宗の命で植栽された桜がルーツ。とはいえ当時の桜は、ソメイヨシノではありません。公園となったのは大正12年、関東大震災の帝都復興事業の一環で。後藤新平の主導により公園として整備されたものです。

日本庭園は水戸藩下屋敷の大名庭園の名残!

隅田川公園の墨田区側は、隅田川沿いの向島1、2、5丁目に広がる面積約8万平方メートルの広さを誇る公園。
江戸時代には、ここに徳川御三家のひとつ、水戸藩の下屋敷「小梅御殿」がありました。

向島一帯に2万坪を有する広大な御殿で、江戸時代の錦絵にも描かれた優美な景観を誇っていました。
さらにいえば、関東大震災後で屋敷が全壊するまで水戸藩徳川家が代々ここに住んでいました。

震災からの公園として復興する際に、水戸藩下屋敷の大名庭園の池や遺構は、隅田公園の日本庭園に取り込まれています。
河畔に整備された公園でありながら、日本庭園の典雅な趣が感じられるのは、水戸藩の大名屋敷時代の名残。

隅田公園内にある牛嶋神社は関東大震災後に向島須崎町(現在の向島5丁目)から遷座したものです。
「撫牛(なでうし)」と呼ばれる石像があり、自分の身体の具合いの悪いところと同じ箇所を撫でると治る、という言い伝えがあります。

隅田公園は、江戸時代から桜の名所として知られる隅田川両岸の桜堤をも園内としているので、日本さくら名所100選にも選定されています。

震災復興公園

帝都復興院総裁となった後藤新平(内務大臣を兼務)は、東京市の防災都市化に主眼を置き、防火帯の設置が急務でした。
幅の広い幹線道路とともに、緑豊かな公園が計画されたのです。

火災の被害者が多数だった深川区(現・江東区)でも緑豊かな清澄庭園では2万人の命が救われています。

こうした反省から帝都復興公園として計画されたのが、隅田公園、浜町公園(東京都中央区日本橋浜町2丁目/熊本藩細川家下屋敷の跡)、錦糸公園(墨田区錦糸)の3園なのです。

震災復興公園としての隅田公園の整備計画

江戸切絵図に見る 水戸藩下屋敷(隅田公園)

幕末の絵図を見ても、周囲がのどかな田園風景であることがよくわかります。

隅田公園(墨田区) DATA

名称 隅田公園(墨田区)/すみだこうえんすみだく
所在地 東京都墨田区向島1
時間 入園自由
電車・バスで 都営浅草線本所吾妻駅から徒歩4分。東武スカイツリーラインとうきょうスカイツリー駅から徒歩7分
ドライブで 首都高速駒形ランプから約1km(4分)
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 墨田区道路公園課TEL:03-5608-6661

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