情け有馬の水天宮

「恐れ入谷の鬼子母神」、「草加、越谷、千住の先よ」など、江戸の地名を盛り込んだ地名入りの地口(じぐち=言葉遊び)。今回紹介するのは、久留米藩有馬家の上屋敷が盛り込まれた「情け有馬の水天宮」(なさけありまのすいてんぐう)。実はこの地口、ちゃんと歴史的な背景を読み込んでいるのです。

久留米藩上屋敷内に水天宮の分社を勧請

久留米市(くるめし)は、福岡県南部(筑後地方)にある中核市。古代には筑後国の国府が置かれた地ですが、藩政時代には久留米城を藩庁として、初代藩主・有馬豊氏(ありまとようじ)以降、幕末まで有馬家が藩主を務めました。
摂津国有馬郡をルーツとする摂津有馬氏(父・有馬重則、子・有馬豊氏)は、関ヶ原の戦い、さらに大坂の陣で活躍して1620(元和6)年、有馬豊氏は筑後国久留米藩21万石の藩主へと出世します。
江戸城書院にあった大広間で将軍に拝謁できる国持大名で、芝・赤羽橋に上屋敷を構えました。

久留米城下には、壇ノ浦で源氏に追われて海中に身を投げて命を絶った安徳天皇や、建礼門院などを祀った尼御前大明神がありました。
第2代藩主・有馬忠頼は、久留米城下の筑後川に臨む広大な土地を尼御前大明神(現・水天宮)に寄進、社殿を造営しています。
文政元年(1818)、9代藩主・有馬頼徳は、芝・赤羽根橋の久留米藩上屋敷内に水天宮の分霊を勧請して、江戸の分社を創建します。

有馬家ゆかりの水天宮。全国総本宮は久留米に鎮座
有馬家ゆかりの水天宮。全国総本宮は久留米に鎮座

5日に限って庶民の参拝を許したのが「情け有馬」の由来!

邸内ということで、庶民の参拝は叶いませんでしたが、連なる塀越しにお賽銭を投げる人が後を絶たちません。そこで、久留米藩は、幕府に対して、5日に限り庶民の参拝を許すように願い出ます。
久留米藩・有馬家は「江戸庶民ファースト」だったのでしょうか、めでたく、幕府から裁可されて、毎月5日に限っての参拝が認められるようになりました。
有馬家の情け深い恩情に感謝して、有馬家と「情け深い」ことを掛けて、「情け有馬の水天宮」という言葉が生まれたのです。

ちなみにこの大英断には後日談もあり、困窮する藩の財政を潤す結果につながるのです。
藩邸内の水天宮、安産祈願の御利益が喧伝(けんでん)され、なんと安政年間(1854年〜1860年)には年間2000両もの賽銭などが集まるほどになったとか。

明治維新で水天宮は青山の有馬家に遷され、さらに明治5年に久留米藩下屋敷のあった日本橋蛎殻町へと遷座しています。

久留米藩江戸上屋敷があった場所は、現在の東京都港区三田1丁目界隈。
東京都立三田高等学校、港区率赤羽小学校、三田国際ビル、かんぽ生命保険東京サービスセンター、東京都済生会中央病院、国際医療福祉大学三田病院などが建っています。

江戸藩邸内の寺社公開
「私の藩邸から近い縁日では、有馬邸の水天宮が盛んで、その頃江戸一番という群集であった」(松山藩士、内藤鳴雪/『鳴雪自叙伝』)。
大名家の江戸藩邸の神仏は、西大平藩(愛知県)大岡家の豊川稲荷(妙厳寺)などが有名。江戸後期になって一般公開され始め、公開した藩邸は50以上あったといわれています。
水天宮の次に人出が多かったのが現在の港区虎ノ門の金毘羅大権現。こちらは丸亀藩(香川県)京極家の江戸屋敷内に金毘羅大権現を勧請したもので、毎月10日に庶民に公開されていました。賽銭やお札の売り上げを藩収入にあてるサイドビジネスだったわけです。藩邸内の寺社としては弘前藩の津軽稲荷神社(墨田区)、仙台藩の塩釜神社(港区)などが現存しています。
広重『東都名所芝赤羽根増上寺』。赤羽橋界隈を描いた広重の絵。右手が久留米藩有馬家上屋敷・水天宮
広重『東都名所芝赤羽根増上寺』。赤羽橋界隈を描いた広重の絵。右手が久留米藩有馬家上屋敷・水天宮
広重『江戸自慢三十六興 赤はね火之見』。赤羽橋を渡ると久留米藩上屋敷が
広重『江戸自慢三十六興 赤はね火之見』。赤羽橋を渡ると久留米藩上屋敷が
広重『江戸名勝図会 赤羽根』
広重『江戸名勝図会 赤羽根』
有馬家のルーツ
赤松氏を祖とする摂津有馬家は、1441(嘉吉元)年、播磨・備前・美作3国の守護・赤松満祐が室町幕府6代将軍・足利義教を暗殺した嘉吉の乱(かきつのらん)後、有馬温泉(現・神戸市北区)に落ち延び、その土地から姓を取って有馬と名乗ったのが始まり。全国の有馬さんのルーツのひとつ。
『江戸切絵図』芝高輪辺絵図(部分)
『江戸切絵図』芝高輪辺絵図(部分)
 

水天宮

2016.12.30

湯も水も火の見も有馬の名が高し

2016.12.30

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ラジオ・テレビレジャー記者会会員/旅ソムリエ。 旅の手帖編集部を経て、まっぷるマガジン地域版の立ち上げ、編集。昭文社ガイドブックのシリーズ企画立案、編集を行なう。その後、ソフトバンクでウエブと連動の旅行雑誌等を制作、出版。愛知万博公式ガイドブックを制作。以降、旅のウエブ、宿泊サイトにコンテンツ提供、カーナビ、ポータルサイトなどマルチメディアの編集に移行。