心行寺

深川は仙台堀近くの寺町にある心行寺は、深川七福神の福禄寿を祀る寺。1616(元和2)年に京橋・八丁堀寺町に創建した浄土宗の寺で、1633(寛永10)年に現在地に移りました。境内には縁結びの地蔵様として江戸時代から信仰される「影窓院地蔵」、江東区に現存する最古の金石文である五重石塔などがあります。

「影窓院地蔵」は縁結びで有名

福禄寿を祀る六角堂

1635(寛永12)年に完了した江戸城下の拡張計画で、京橋・八丁堀にあった寺町は強制的に移転となり、跡地に八丁堀の与力・同心組屋敷が建てられたのです。寺町があったのは、現在の中央区八丁堀1~2丁目、日本橋茅場町1~3丁目あたり、つまりは京華スクエア(京華小学校跡)界隈に、心行寺も創建されたことになります。

本堂と庫裡は大正12年9月の関東大震災により焼失、その後昭和7年に再建ましたが、昭和20年3月の空襲で焼失。
現在の本堂は、昭和42年の再建です。

往時には影窓院、正壽院の2つの塔頭(たっちゅう)があり、境内の境内の「影窓院地蔵」(石造地蔵菩薩立像)は、影窓院に安置されていたもの。縁結びの地蔵として信仰されています。

「影窓院地蔵」の横にある五重石塔は、元亨4年(1324年)3月24日の銘があり、江東区に現存する最古の金石文(きんせきぶん)となっています。

宝筺印咒塔(ほうきょういんじゅとう)は、文化文政年間に、江戸の名妓といわれた川口直が夫・忠七の菩提を弔うために建立したもの。

縁結びの影窓院地蔵
古い年号が刻まれた五重石塔
川口直(かわぐちなお)
川口直は、江戸吉原の名妓で、三味線の名手。蜀山人作詞の清元『北州』(北州千歳寿=ほくしゅうせんねんのことぶき)に甲高い節付けをしたことで有名。1816(文化13)年に焼失した吉原の復興がなったのを祝うべく、初世延寿太夫が古稀を迎えた蜀山人に作詞を依頼したもの。北州とは、江戸の北という隠語で、吉原のこと。隅田村から小峰村の境まで、独力で楓(カエデ)を植栽し、幕末には向島の紅葉の名所として親しまれました。芸妓を辞めた後は、日本橋薬研堀に料亭「川口」を開業。後に浅草橋に移り、真崎稲荷境内で田楽茶屋「川口屋」を営み、『胡麻味噌の石焼豆腐』を名物に繁盛しました。真崎稲荷は関東大震災で石浜神社境内に遷されています(真先稲荷:荒川区南千住 3-28-58)。ちなみに川口直の夫・忠七は、笛の名手「竹明」。川口直は、1845(弘化2)年11月26日没。
宝筺印咒塔は、北州塚とも呼ばれています

『鬼平犯科帳』に登場の心行寺

池波正太郎『鬼平犯科帳』の「盗賊人相書」に心行寺の住職の話が登場します。
「へえ。私も、心行寺の和尚さんの顔を描いたのを見たことがございますが・・・そりゃあもう、みごとなもので・・・」
改方御用の絵師・竹垣正信(幕府御抱え絵師・墨川宗信の内弟子)が休暇中で、ピンチヒッターとして登場する絵師・石田竹仙について、御用聞きの仙台堀の政七が火盗改メ同心の酒井と忠吾に説明したセリフ。
深川に詳しい、池波正太郎がさり気なく、実在する(古地図にも名の記された)寺の名を使ったのでしょう。

江戸切絵図に見る正行寺

深川七福神

寿老神|深川神明宮=江東区森下1-3-17
布袋尊|深川稲荷神社=江東区清澄2-12-12
毘沙門天|天龍光院=江東区三好2-7-5
大黒天|圓珠院=江東区平野1-13-6
福禄寿|心行寺=江東区深川2-16-7
弁財天|冬木弁天堂=江東区冬木22−31
恵比須神|富岡八幡宮=江東区富岡1-20-3

福禄寿(心行寺)
恵比須神(富岡八幡宮)


心行寺
名称 心行寺/しんぎょうじ
所在地 東京都江東区深川2-16-7
関連HP 心行寺公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線門前仲町駅から徒歩6分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 心行寺寺務所 TEL:03-3641-2566/FAX:03-3641-2566
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