広重の浮世絵&『江戸名所図会』に見る永代寺(現・深川公園)

明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、廃寺となってしまった富岡八幡宮別当(別当=神社を管理する寺)・永代寺。永代寺境内では、江戸時代に11回も成田山新勝寺の不動明王像「出開帳」も行なわれた名刹で、見事な庭園を有していました。今は、深川公園となり面影のない名刹を、歌川広重の錦絵で偲びます。

永代寺は、富岡八幡宮の別当として創建

『江戸名所図会』に描かれた永代寺の境内。広重の立ち位置は推定値

1624(寛永4)年、京の長盛法師(ちょうせいほうし)が生家に伝わる八幡神像を持って江戸に下り、神託により隅田川河口に近い砂州であった葦原(アシの茂る洲)に小さな祠(八幡宮)を建立したことが創建と伝わります。
(現・江東区南砂7丁目に鎮座する富賀岡八幡宮が元宮とする説も有力で、起源は定かでありません)

その後、一帯6万508坪を干拓して、永代島が生まれました。
八幡宮の社殿、僧坊などが建てられ、1653(承応2)年、富岡八幡宮別当として永代寺という号が許されました。

永代寺の正式名は、大榮山金剛神院永代寺。境内には江戸の西側入口を守る江戸六地蔵も祀られました。

そんな永代寺が賑わいをみせるのは、1698(元禄11)年、永代橋が隅田川に架橋されてから。
これで一気に江戸市中からのアクセスが良くなり、1703(元禄16)年の成田山新勝寺不動明王像「出開帳」につながります。

表門を入った右手には六地蔵が描かれています。全体が永代寺境内だったことにも注目を

境内には江戸でも超VIPな料亭が出現!

永代寺・富岡八幡宮の境内には門前四カ町(永代寺門前町・永代寺門前仲町・永代寺門前山本町・永代寺門前東仲町)と呼ばれる門前町が形成され、参詣者目当ての茶屋が営業します。
茶屋は、茶汲女、隠れ女を置くような岡場所に発展。そして深川芸者を生み出します。

『江戸名所図会』には、
「当社門前、一の鳥居より内三、四町が間は、両側茶屋・酒肉店軒を並べて、つねに弦歌の声絶えず。ことに二軒茶屋と称する貸食屋などありて遊客絶えず。牡蠣・蜆・蛤・鰻の類をこの地の名産とせり」
と記されています。

1777(安永6)年刊、江戸・京・大坂の三都の名物を記した評判記『富貴地座位』(ふきぢざい)の料理の部には、深川州崎の「升屋」(ますや)と深川永代寺門前の二軒茶屋があげられています。

「升屋」は建物の結構、眺望は絶佳、すぐれた包丁で知られ、二軒茶屋は永代寺の富岡八幡宮側に位置した「松本」と「伊勢屋」という2軒の料亭のことで、料金が高価なことから、1766(明和3)年に「二けん茶やきもをつぶして払いをし」の句が読まれていました。

『江戸名所図会』の「二軒茶屋」には、
「此の地は、江都東南の佳境にして、月に花に四時の勝趣多かる中に、取りわきて初雪の頃などには都下の騒人ことに集い来つつ、亭中の静閑を賞し一杯を酌みかはしては酔興のあまり、冬籠もる梅の木の下、秋ならば尾花苅りたき、一夜の夢を結ぶもまた多かりぬべし」
と記されています。

江戸の文化成熟時代である文化文政年間(1804年〜1830年)には新吉原(遊郭街)にも勝る賑わいとなり、「粋」な深川というイメージが定着したのです。

栄華を誇った二軒茶屋は、1841(天保12)年頃から、水野忠邦による「天保の改革」の倹約令と風俗取締によって廃業を余儀なくされます。「松本」は、後に復活しますが、明治時代に廃業しています。

『江戸名勝図会』二軒茶屋。「松本」の店内と推測されます

旧暦の3月21日〜28日に限定公開された永代寺庭園

歌川広重『名所江戸百景 深川八まん山ひらき』

幕末の1857(安政4)年刊行の歌川広重『名所江戸百景 深川八まん山ひらき』(魚屋栄吉版)を見ると、永代寺の見事な池泉式庭園が描かれています。
手前に桜、奥に咲く赤い花はツツジ。
池の両側を大胆にカットして、俯瞰的な構図と、遠近法を巧みに組み合わせて広がりを見せています。

境内西側に配された池は十五間川(油堀)から水を引き入れた汐入りの池だったということです。

奥にそびえる富士山のような築山は、1722年~1723年(享保7年~8年)築造、1819(文政2)年に再興した高さ約6mの富士塚(深川富士)だと推測できます。
昭和30年頃まで社殿裏に現存していました。
富岡八幡宮境内、末社・冨士浅間神社背後にミニ富士(新深川富士)が復興しています。

「深川八まん山ひらき」は、旧暦の3月21日(空海の命日)から始まる「山開き」の期間に庭園が8日間にわたって一般開放されており、その風景を描いたもの。
桜は、山桜とその流れの大島桜などと推測しても、ツツジと同時に咲くのか、はたまた時間をデフォルメしたのかは定かでありません。
(また富士山型の築山も、深川富士ではなく、甲山と注記があるため庭園内の築山とする見方もあります)

明治20年頃の地図を見ると、現在の富士浅間神社など末社が並ぶ一画の背後、社殿の北西側に富士山があったことがわかります。
位置関係から考えると、庭園内の築山と考えるより、描かれているのが深川富士とするのが自然だと思われます。

『江戸名勝図会』永代寺山開

江戸切絵図に見る永代寺・富岡八幡宮周辺

深川公園 DATA

名称 深川公園/ふかがわこうえん
所在地 東京都江東区富岡1-14
開園 入園自由
電車・バスで 東京メトロ東西線・都営大江戸線門前仲町から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用

深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)

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深川不動堂(成田山新勝寺東京別院)

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