広重の浮世絵に見る 彦根藩井伊家上屋敷

幕末の大事件、一気に明治維新への流れとなった有名な桜田門外の変は、多くの映画化、ドラマ化がされていますが、殺害された井伊直弼(いいなおすけ)が住んでいたのが彦根藩井伊家上屋敷。門前には桜の井、柳の井という有名な井戸もあって、広重などの錦絵にも数多く描かれています。

歌川広重『江戸勝景 桜田外の図』(川正版)


右側の濠は現在の桜田濠。当時は弁慶堀と呼ばれていました。内堀通りがのどかだった時代です。
彦根藩井伊家上屋敷の赤門の右下に井戸の釣瓶(つるべ)が描かれていますが、これが桜の井です。

歌川広重『江戸名所 外桜田弁慶堀』(山甚版)


雪化粧となった弁慶堀(現・桜田濠)と彦根藩井伊家上屋敷。桜の井の釣瓶も雪が積もっています。
桜田門外の変も西暦だと3月24日ですが、雪の降りしきる日だったことがわかっています。
この錦絵が描かれたのは桜田門外の変以前です。

歌川広重『江戸名所百景 外桜田弁慶堀糀町』(魚栄版)


幕末の1856(安政3)年の刊。桜の井が彦根藩井伊家上屋敷・赤門の右下に描かれていますが、濠沿いにさらに歩いた先に、柳の木が描かれています。そこが柳の井で、建物は彦根藩の番所と推測できます。
桜の井があったのは、現在の国会前交差点、東京メトロ有楽町線・桜田門駅あたりです。
内堀通りが拡幅されて、現在は旧彦根藩井伊家上屋敷内にあたる国会前庭・北庭に移されています。

歌川広重『江戸名勝図会 桜田』


この広重の絵にもしっかりと柳と井戸が描かれています。また左上にわざわざ柳の井と桜の井の紹介も。
柳の井は今も桜田濠の濠の土手にありますが、立ち入り禁止エリアになっています。

歌川広重『東都三十六景 外さくら田』(相ト版)


こちらはほぼ同じアングルで冬枯れのシーン。
江戸時代にはこのあたりがなかなかの景勝地だったことがわかります。

古地図に見る彦根藩井伊家上屋敷


 

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